遥かなる君の声

     ~なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          14



 踏み込んでみて判ったことだが、がっつりと堅い岩盤に穿たれたこの窟道は、やはりかなりの年期が入ったそれであるらしく。密閉空間には違いないので さすがに“開放感”まではないものの、結構な地下深くだというのに、そこから来る…崩れやしないか埋まりはしないかと案じさせるような、不安定な圧迫感はない。いかにも頑丈に固められし壁や床なのと、
“聖域つながりだからだろうか。”
 この大陸には殊更に強く残存している、大地の精気が循環している大いなる気脈。それに支えられている、由緒のありげな窟道だというのなら、
“…こいつらが此処を知ってたってのはどういう周到さなんだろな。”
 たまたま見つけて、塒
アジトにしたというには、ずんと深いところにあった古趾であり。人の歴史が始まったばかりというほどもの遠い遠い昔、この地にいたという祖先から、こんな細かいことまで伝えられし知識があった彼らだというのだろうか。
“…けど。”
 だったら、尚のこと、聖地アケメネイなんて、もっと早くに見つけていても訝
おかしかないのではなかろうか。それこそ、約束の時間までは間があるからと、必要になるまで預かっててもらってたって順番なのだろか。
「…っ!」
 手元足元が不案内な薄暗がりなのは双方ともに同じな条件。耳鳴りがしそうなほどの静謐の中、だってのに、間近にまで迫らねばその気配を感じられないほどもの鋭さで、棍の先が空を切って吹っ飛んで来る。頭部を横ざまに薙ごうという、荒鷲の滑降のようなその特攻を、咄嗟に振り上げた利き腕の、剣の柄を添わせた手首で受け止めてガードしたものの、
“…来るっ。”
 単なる一本の長槍による攻勢ならそれで済むところ。だが、相手はその長さが変幻自在となる“三節棍”という得物を扱っており、先を弾けば大きく遠くへ去る筈の尖先が、すぐ間際の中途で自分からへし折れての次の対応。叩かれた部分だけが短い弧を描いて旋回し、防御にと構えたこっちの腕の周縁を迂回しての、二段目の打撃を内側から外へと叩いて来かねず。はたまた、先端こそ防がれてもそこから二つに折ってしまい、中央と手元の2段のみにての突きをねじ込んで来るやも知れず。扱う者の瞬発力や技量が巧みに優れていればいるほど、千変万化な攻撃を連綿と、どのようにでも繰り出せるという、そんな恐ろしい棍棒術に、これでもなかなかの喰いつきにて相対している黒髪の導師様。やっぱり腕を払いに来た第二撃から、素早く腕を下げて逃れると同時、
「ぐ…っ!」
 その逆側から吹っ飛んで来た相手の手元の側の棍を、足元の脛に受けつつも。棍棒をその両腕の間でぐるんと大きく震わせて旋回させた相手の動線の流れの…ほんのわずかな隙を見逃さず、
「…っ!」
 その懐ろへと低くした身を割り込ませ、肩口からの思い切りの体当たりを敢行すると、振りかざしていた剣の柄頭を、倒れ込んだ相手の顔目がけ、叩きつけんとしたけれど、
「…チッ。」
 のしかかられたまま、それでも何とか首を傾けて殴りつけを躱した、スキンヘッドの道士殿。こちらは何発か、避け切れなくてしたたかに殴られてもいるのに、相手は今のところ無傷も同然だというのが何とも面憎く。それでの舌打ちがついつい、葉柱の口元から洩れたのへ、
「…どうして剣を返したのだ。」
「ああ"?」
 無駄口を利かないで黙々と、連綿とした攻撃を間髪入れず続けていた可愛げのない相手が、不意にそんなことを訊いて来た。挑発という形であれ、戦う相手へ会話を求めて来るようなタイプだとは思わなかったので。用意がなかったこともあり、ついつい乱暴な声でぞんざいに訊き返すと、
「…っと。」
 どんな腹筋背筋の持ち主なのか、地べたへ押さえ込む格好にて葉柱が乗っかったままだったその身を、事もなげに起こしたそのまま。こちらの胸板へいつの間にか宛てがっていた両の手で、とんっと軽く突き飛ばす。どういうコツがあるのか、普通だったら ただその場で上体だけが後ろざまに突き倒されているところが…、
「わっ。」
 体が浮いて身を剥がされて、数歩分ほども飛ばされていたほどの突き飛ばし。召喚師の末裔なりの咒力を用いた技なのか、それとも…これも体術の延長、相手の動作や力のベクトルを見切って繰り出す“気功術”とやらの応用か。一応の間合いを取ってから、その身を起こした相手だと気づいて。こちらも慌てて立ち上がれば、
「何故、剣を返した。」
 片方の足を引いての半身に構えたそのままで、同じ問いを繰り返す。その間合いがあったから、自分は難を逃れられたと言いたいらしく。そういった詰めの甘さは、対手の勝手な驕りや気の弱さの発露。絆
ほだされる必要はなく、むしろ“馬鹿にするな”と怒ればいいのに、
“何でわざわざ訊くのやら。”
 こっちの事情を聴いておこうと思うほど、よほどに誠実潔白なのか、それとも…覚えのない手加減をされるのが我慢ならない、誇り高き戦士なのか。こうまで融通の利かない頑迷な人物には、葉柱の側にも覚えがあって、
“あの白い騎士殿もなぁ。もうちっと気構えに余裕があったら、それか、何でもかんでも自分ひとりで対処するよな頑なさがなかったならば。”
 こんな騒動の発端になんて、ならずに済んだかも知れんのに…などと。何とも大きく出た辺り、山岳育ちはその心根さえもおおらかになるものなんでしょか。
「俺ごとき、刃を汚すまでもないと軽んじての情けか?」
 ああ、やっぱり、そこんところをはっきりさせたいんだなと判った途端、
「そんなじゃねぇよ。」
 あまりの生真面目さに、何故だろうか、つい苛立ってきた葉柱で。
「もう気づいてるだろうが。俺の腕前ではせいぜい、あんたを此処に引き留めとくのが限度だってのがよ。」
「ならば…っ!」
 尚のこと真剣を翳
かざせばよかろうと言いたいらしい相手へ、何であんたから憤慨されて叱られなきゃならんのかと。どっちが真摯な正義なんだかが曖昧な戦いに、セナほどの戸惑いはなかったつもりが、だが、心のどこかで焦れてでもいたらしく。何だか面倒になって来てだろか、
「あんたの方を本気にしないため、煽らないために、だよ。」
「…っ!」
 相手へ言うつもりはなかった手の内、腹積もりをつい、明かしてしまっていた葉柱で。
「俺らが一番に優先してぇのは、あんたらの企み、闇の眷属とやらの降臨を妨害することじゃあなく、攫われた進を取り戻すことだからな。」
 此処に蛭魔がいたなら、そんなことを誰が何時言ったと烈火のごとくに怒り出しそうだったが。そんな彼とても、実のところ…腹の底ではぎりぎりそっちを優先して頑張りたいと思っているに違いなく。
「あのちっさい王子様が、たった独りで。あんな…鬼みたいになってる騎士殿を引き留めて、正気に戻せるかどうかなんて。実際のところ、俺にも確信はねぇんだけどな。」
 いつもなら導師の誰ぞか、最低でも近衛兵や傍仕えの誰かが必ず一緒だったセナを、蛭魔らに託されたのに独りで行かせた。それを思うと胸に苦々しいものが込み上げて来てしようがない。だが、今は一刻でも無駄には出来なかったから。彼がその身に秘めている力を信じて、先へ行けと急かした葉柱だったのであり、
「心細かろうに、それでも独りで先へと行かせたからには、邪魔や障害は除外してやりてぇ。俺にできることってのを…その役だけでも果たしてぇのよ。」
 だから。この凄腕をこの場に釘付けにしておきたい。もしも殺気に満ちた刃を向ければ、彼もまた本気のカウンターを容赦なく出して来て、そして。きっとあっさり決着がつくに違いないから。それよりは。じりじりと刻まれることで生傷が少しずつ増え、倒れるのに時間を食うだけの話でも構わない。躱して躱して長引かせ、何とか粘って時間稼ぎがしたかっただけ。そうと決めての対処を取るなら、きっちり決着をつけようと構えるよりかは…何とか喰い下がれる集中を保てるだけの余地も増す。

  「カッコつけた言いようをするなら、
   あのチビさんが“光の公主”だってことに賭けたってやつだ。」

 日頃あれほど庇っておきながら、こんな土壇場にいきなり放り出し、本人にもまだまだ制御不能な段階の“潜在的なもの”へ頼るのもどうかとは思ったが。どうするか、どうしたいかくらい、セナに選ばせてやりたかった。誰の目もなく、肩書だの使命感だのといったものへの意識や、プレッシャーという重圧のないところで。必死に頑張ったその結果として、進を倒すも…諦めて彼の側が倒されるも、セナの好きに選べばいいではないか。
“チビさんといい、こいつらといい…。”
 過去からの因縁が何ぼのもんだか知らないが、何でまた“世界の命運”だの“過去からの呪怨”だの、いきなり押っ付けられたものにこうまで縛られてるかなと、いい加減、頭に来てもいた葉柱だったらしくって、
「言っちまったからには、さあ、後はあんたが選べばいいさ。」
 姑息な時間稼ぎなんぞに付き合ってられるかと、葉柱を叩きのめして先を急ぐか、それとも。
“心算を暴露したからって、諦めた訳じゃあないけどな。”
 ぎゅうっと握り締めたは愛用の剣の柄。咒の習いより熱心に修練を積みし剣の腕、その全てを披露してやろうじゃないかと、あらためての集中を構えた葉柱へ、
「………。」
 暗がりの中だからか、無表情に近い相手の顔付きは…話す前とあまり変化がないようにも見えており。何とも馬鹿馬鹿しいことよと、あっさり見切られる方に傾きそうかもなと、自分の底の浅さへ胸の裡にて溜息ついてみたそんな間合いへ、

  「…?」

 どうして相手がなかなか動かないのかと、怪訝に思ったのとほぼ同時。頭上からの“物音”が葉柱にも聞こえて来た。
“え?”
 物音って…ちょっと待てよ。二階でガキが走り回る音が筒抜けになっちまうよな、安普請の宿屋じゃないんだから。そりゃあ古くて堅い岩盤を穿った地下であり、もしかしたら多少の地震にだって耐え得るくらいの頑丈な作りな筈が、どこのどれほどの騒ぎを此処まで通すというのだろうか。
「上からか?」
 選りにも選って、対峙中の相手へそんなことを訊いてしまったのは、この気配に感づいて、それで彼の側も攻撃の手を出せずにいたらしいと感じたからだったが、
「まさか…。」
 そんな筈はないとか何とか、続けたかったろう、対手の声を踏みつぶすよに。空間ごと揺れてのこと、微かな震えがすぐ足元からも伝わって来て。ごろごろガラガラという堅い音やミシミシという不吉な軋みが、段々とその輪郭を鮮明にし始めたので、
「…っ。」
 双方同時にそれぞれの背後へと飛びすさって避けた、その次の刹那、

  ――― 轟っ、と。

 落盤事故とはこういうものかと思わせるような勢いで、結構広さのあった空間を一気に埋めつくさんというほどの大量の瓦礫や砂が、二人がついさっきまで立ってた真上から、怒涛のように降りしきり、床にあふれてもまだ足りないか、左右へも広がって押し寄せて来る。密閉空間へまずはと舞い上がる砂を感知し、反射的に目を伏せれば、口や鼻へも細かい砂塵が襲いかかり。それをそれと意識するのを追い越して、水の比じゃないほど堅くて重たい流れに押し負かされる。そのままどこぞへ流されてしまうのだろかと危ぶんだものの、

  《 スタイン・シェルド・クーリク。》

 聞き覚えのある声がして、それとともに…瓦礫や土砂がすっかり全部掻き消えた。足元から持ち上げられかかっていた身がすとんと、最初の床へ降ろされて、だが。体の重心が傾いていたのだろう、ある意味“支え”だった土砂を失って“わたた…っ”と後方へたたらを踏みかけた葉柱を、
「…おっ。」
 手のひら1つで支えて、軽く押し返してくれた人があり。こりゃどうもと肩越しに振り返れば、
「…え?」
 どっかでつい最近に見たのとそっくりな無表情がそこにはあって、ギョッとする。確かに視線が合った筈の向こうさんもまた、愛想を振るでなしの無表情なまま。大丈夫らしいと見切って手を放すと、葉柱が向いてた方へ、彼を追い抜く格好で、真っ直ぐつかつか、歩みを運んでゆくばかりであり、
「…阿含?」
 その向こうにいた青年こそが、葉柱が此処でずっとその表情を見据えていた方の相手。微かな目配りから次の動作を予見し、対応していてのことだったが、それが何とも難しかったほど、表情がほとんど動かなかったその彼が、自分へと歩み寄って来るよく似た相手へ、明らかに動揺して見せている。だがまあ、動揺だったらこっちも同じだ。

  「…何で仲良く現れてる。」

 いや、動揺というよりかは安堵に近いかも。救援が来たことへホッとしただなんて、ちょっぴりいただけないことだろうよ自分…というよな自己分析も反省も、今はとりあえず後回し。確か彼らが二人がかりで手古摺ってたはずの、やっぱり敵である炎眼の青年と、何でまた一緒くたになって落ちて来たのだと。先程の、土砂をどっかへお引っ越しさせたか、それとも元通りに戻しただけか。この聖域で掟破りの咒詞を紡いだ、亜麻色の髪をした白魔導師の方へとお顔を振り向けた葉柱へ、

  「なに、情勢が変わったらしいのでな。」

 横合いからのお返事を下さったのは、こちらさんもどこか緊迫した表情のままの金髪黒衣の黒魔導師さんで。彼らの咒力の凄まじさはようよう知っている葉柱だったが、それにしたって、この岩盤を砕こうとは。
「こんな掟破りな咒まで使えるお前らだったのかよ。」
 聖域つながりの場所であるがゆえ、大地の気脈の流れもより太く。それが障壁代わりになって、外部からの跳躍侵入を許さない、何びとにも侵されない聖なる空間…であった筈。それを侵しての…亜空経由という方法ではないにせよ、こんな乱暴な“近道”をする奴があるかと、呆れたように口にした葉柱へ、
「ああ? 咒で砕いた訳じゃあねぇよ。」
 これもどこかで聞いたばかりな、至って面倒そうな口調にて応じつつ、蛭魔がひょいと肩をすくめて見せて、
「あいつが念を込めた拳へな。俺らの念も乗っけたってだけだ。」
 ここの岩盤にはたいそう強い気脈の流れが走っているから、それを突き抜けての移動や通過を目的とする咒は弾かれるばかりで通じない。それを見越した上でのこと、何とも無謀な力技にて、穴を穿って下層へ向かおうと仕掛かっていた阿含とやらの、その無謀さに彼らも乗っかったのだと、しらっと言い放つ蛭魔の言へ、
「僕らが必死だった想いが、大地の気脈に伝わったせいもあるのかも。」
 ここを砕いて近道したい、一刻も速く追いつかなきゃって切羽詰まってたのへと、手伝ってくれてのことかもと。何とも楽天的なお言いようを重ねた、亜麻色髪の元大魔神さんは、その懐ろに…葉柱には見覚えのない誰ぞを抱えてもおり、ますますのこと、上で何があったのやらと、混乱しかけるアケメネイの導師様である一方で、
「おい。」
 此処に葉柱しかいないのを見て取った蛭魔が、それだけでこちらの状況を見取ったらしく。一緒に降り立った“連れ”へ向け、何とも無造作な声を掛けている。
「時間がねぇ。俺らは先へ行くぞ。」
 手短かなその一言へ、
「…ああ。」
 さすがに軽やかな声ではなかったが、それでも躊躇はない返事が返って来。僅かだけこちらを見返っている彼の応じを耳にした、恐らくは彼の兄弟なのだろうスキンヘッドの青年が、
「おいっ。」
 それも無理からぬ、憤然とした声を上げたようだが。こちらには関係ないことと、知らん顔で振り切った蛭魔が、
「行くぞ。」
 葉柱へと視線を投げて来る。
「ああ。」
 一刻を争う状況下、説明は後だ後とその態度で示す蛭魔が、だが、
「あ、お前は残れ、あいつらと来いな。」
「え~?」
 てきぱきと仕切った指示の中、相棒へは居残りを命じ、途端に桜庭が不服そうな声を上げたのへ、
「その坊主。」
 治療してからじゃないと連れてっちゃ不味かろよ。やっぱり手短な言いようをしたのへ、
「…判った。」
 渋々だろうが何とか納得はしたらしい桜庭が、やたらに強い眼差しになり、
「葉柱くん、妖一のこと任せたからね?」
「おうさ。」
 ………おいおい。
「人を勝手に任せたり、任せられてたりしてんじゃね~よ。」
 それぞれを蹴る間合いさえ惜しいのか、怒った割にリアクションはないまま、とっとと駆け出す金髪の悪魔様。やっぱり背景がとんと見えないままの葉柱が、
「で? 何がどうなってやがんだよ。」
 すぐ後へと続きながら蛭魔へと訊いたのだが、
「さあな。俺らも細かいところまでは聞いてねぇ。」
 桜庭を残したのは、それを聞いとけという意味合いもあってのことであり。道々話すからと足を速めた蛭魔は、そののっけにぽつりと、

  「奴らの側でも、いろいろ葛藤があるらしいってこった。」

 どこかやるせなさげな声音となって、そんな風に呟いたのだった。





 居残った側の顔触れは、上の層からの乱入というとんでもない暴挙をしでかした弟とそれから。今の会話を聞く限り、敵側の存在であるにも関わらず、この弟へ加担して岩盤破砕へ協力したらしい、光の公主のお傍衆の導師の内の一人と、その腕の中へと抱えられている仲間うちの少年という3人であり、
「…阿含。」
 ある意味、最終決戦の場であり、正念場であったものが。そんな場面を取り仕切る主要な戦力でもあろう身で、此処へ入れてはならぬ、喰いとめねばならぬ相手と共に深部までを同行し、それのみならず先へと向かわせただなんて。
「これは一体どういうことなんだ。」
 問答無用と彼を押しのけて、先へと進んだ奴らを追うべきだったのか? だが、
「………。」
 いつになく表情のない弟であるのが、兄の動作と思考をもこの場へと引き留めている。時折、小手先の揶揄やシニカルな皮肉を口にしつつも、これまで何の反駁もないままに素直にしたがって来たことへ。一体どれほどのことがあって、こうまでの妨害をする彼なのか。
「…一休がどうかしたのか?」
 恐らくは白魔法専門の導師なのだろう、亜麻色の髪をした上背のある美丈夫がその少年を抱えているのは、随分と弱っているからこそのこと。ゆったりと抱えてやっているそのまま、治療のための念を注いでやってくれてもいるらしく、頬や短髪の間際の額などに見える痛々しい傷にもかかわらず、随分と穏やかな寝顔をしており、
「年少ながら、腕も立つはずの一休が、あのように弱っていることへ、関係があることなのか?」
 一旦機嫌を損なうと、その途端に口が重くなる頑迷な幼子の相手をするように、少しずつ踏み込んでは、彼の側から紐解いてゆく兄であるのへ、
「ゴクウが、戻って来たのだ、兄者。」
 これまで見て来たどのシーンでも、憎々しいまでに尊大にして自信満々だったこの彼が。それを告げるだけのことへ、こうまで…声を震わせ、身を竦ませるほどもの、何かしら。それはそれは大きく、そして途轍もなく残酷な“真実”であるらしく、
「ゴクウが?」
 それだけではまだまだ、何のことやら半分も伝わっていないらしき相手へ向けて、

  「………俺らはとんだ道化者だったのだ、兄者。」

 ぽつりと。兄へと告げた一言の語尾が微かに撓
たわむ。ドレッドに結われた髪が、うつむき加減の顔にかかっており。そのせいで横合いからだと口元しか見えない彼は、やはり無表情のままだったのに。どうしてだろうか、異国の道士服をまとったその頑強な背中がいやに小さく、そして…声を押し殺してすすり泣いているかのようにも見えた桜庭だった。






            ◇



 不意に現れた一人の少年の、息も絶え絶えに苦しげなまま紡がれたとある証言により、事態は思わぬ展開へ大きく動きつつあって。

『陽雨国に出向いていたゴクウとかいう誰かが、僧正様とかいう誰かしらの正体を知る人に逢って確かめて来たことがある。それによって、太守を降臨させてはならないと判ったのだが、そんな情報を齎したゴクウとやらを、僧正様が何と斬って捨てた。』

 阿含とやらから“一休”と呼ばれた少年が口にしたことを、簡単にまとめるとこうなって。そして…恐らくは、あの少年自身もそれを見ていたからこそ、その僧正様とやらに害されたのに違いなく。それが形式的なものであれ、少なくとも“様”をつけて一応は尊称で呼ばれていた人物からの所業にしては、傲岸を通り越し、残虐極まりないことに違いなく。だからこそなのか、

  『俺はこれから、同胞たちを叩き伏せにゆかねばならぬから。』

 それまではどこか…人を食ったような、飄々とした風情を保っていた男が、急に真摯な顔になり。深手を負いつつもこれだけは伝えなければと頑張ってから意識を失った健気な少年を、選りにも選って直前まで命のやり取りをしていた相手へゆだね、自分はこれから修羅の道をゆかねばならぬと断言した。
「…それって、奴らの側にも誰ぞが企んでる何かが埋まってたってことかよ。」
 それも、僧正様なんて仰々しく呼ばれている存在の持ってた謀略だということか? 薄暗い一本道を長い裾の導師服を翻しもってダカダカと駆けながら、葉柱がいかにも胡散臭そうな顔をする。
「僧正ってことは、筧が言ってた宗家の筋の人間かもしれない。」
「あ~、そういや言ってたな。」
 水晶の谷を守りし聖霊さんが語ってくれた“炎獄の民”を構成する人々の中、陽白の一族との連絡係のような立場の者がいたという話があって、
「いかにも、過去からの因縁をひけらかして、今いる顔触れを統率してそうな肩書じゃねぇか。」
 ケッと忌ま忌ましそうに息をついた蛭魔だったが、
「けどよ、この上へどういう企みがあるってんだ?」
 かつて自分たちを滅ぼした陽白の一族の遺せし、陽咒の源、光の力を束ねる“光の公主”に対抗するべく。途轍もない力を帯びたる“闇の眷属”を降臨させようなんて、とんでもない仕儀を構えている彼ら。
「寄り代様を制御するのは、その僧正様なんだろうによ。」
 だったらもはや隠し事って段階じゃあなかろうにと、納得が行かないらしい葉柱へ、
「上じゃなく、下に、かも知れねぇ。」
 蛭魔が妙な言い回しをし、葉柱が“???”とますます眉を顰めて見せるのへ、

  「だから。そもそもの大前提が、仕組まれたものだったらどうよ。」

 淡々とした言いようだった分だけ、意味を把握するのに間がかかった。洞窟内に響き渡るは足音のみ。そんな沈黙の後、
「それって…。」
 葉柱が困惑したような声を出した。そもそもの大前提って? それじゃあ何か? 彼らがこうまでの…王城キングダムという一大王国さえ敵に回しかねないほどもの強襲事件を起こしたり、その準備に自分の故郷のアケメネイを襲撃までした、この一連の大それた騒動は、古(いにし)えよりの因縁じゃあなくて、その僧正様とやらの企みが発端だってことか?
「え~っと、あ~? けど、ちょっと待て待て。」
 闇の眷属を召喚しましょうぞという企みが、実は僧正とやらの個人的な野望だったとして。
「今の世代の奴らが生活していたのは、ここから遥かに遠い他所の大陸だ。そこでの天変地異が起きたんで、命からがら脱出して来たところを、陽雨国の船に救われた難民だったんだろうがよ。」
 その一大事が起きなければ、依然としてこの大陸には来れないままだった人々でもあり。しかも、
「進だけがシェイド卿に引き取られたのも、しかも奴が抱えてたらしいグロックスをどこかに隠すため、記憶を封印した上で城に預けるみたいな格好で身を隠させたって流れだったのも、進がまだまだ子供も同然って頃の話な筈だ。」
 そんな卿がアケメネイへと辿り着いたのが8年前だというからには、軽く見積もっても10年以上はかかっている話だし、
「施設にいた頃から“この子はこのままにしといちゃ不味い”と思ってのことなんならよ、渡って来てすぐにもって話になる。」
「だから?」
「いや、だから…。」
 僧正とやらがその野望を思いついたのが、元の大陸にいた頃の話ならば…天変地異が都合よく起きない限り、この大陸に舞い戻って来れなかった身の彼らには、実現不可能な夢物語にすぎなかったことだろし。とんだ巡り合わせによってこの大陸へと運ぶ身となったがため、だったらあの計画が実行出来そうだなんて順番での思いつきだったのならば…まだまだ幼い身だった進が、収容されていた施設で既にあのグロックスを持っていたなんてのが、随分と周到すぎる不自然な運びではなかろうか。寄り代候補は必ずいつも存在するような選ばれ方をするというなら、尚のこと、
「やっぱ“約束の時間”とやらを目指しての胎動っつーか、過去からの因縁話が今の世代で発動した…って運びでないと、色々な部分での時間的な辻褄が合わねぇよ。」
 ずんと長期に渡っての運びであるのみならず、彼らがこの大陸へ…祖先が追われた因縁の大地へと戻って来た切っ掛けが、自然界の暴走というあまりに奇遇な代物のせいなだけに。人ひとりの個人的な願望や思いつきだとは到底思えぬと主張する葉柱だったが、
「…その天変地異も、そいつの仕業だったらどうよ。」
「はあ?」
 おいおい、そこまで出来んなら、もう既に世界を支配も出来ようと。
“全力疾走で頭に血が回ってねぇのかよ、おい。”
 ややもすると呆れたように眉を寄せた葉柱へ、
「何も本当に魔法じみた力を使う必要はねぇんだよ。」
 蛭魔はやはり、こともなげに言ってのける。最近の陽雨国がそうなように、蒸気だの火力だのといった強力な動力機関や、性能のいい機巧を使った乗り物による大量物流が発達し、それに沿うように電信の技術も画期的に進むとな、州とか国とかいう大きい単位地域での作物や物品の管理統制が、ずば抜けて行き届くようになるって聞いたことがある…と、いきなり物流のお勉強でしょか、黒魔導師様。
「そういう物流システムが安定して来ると、次の展開は手持ちの在庫の縮小だ。」
 何日もかからず次々に、注文したところの必要とするものが着々と運ばれて来るのだから。となれば、手近にあれこれ貯蔵しておく必要もなかろと人は考える。必要なだけを取り寄せるのだから、そうそうは使わないものがいつまでも置きっ放しになるものという格好のロスを防げるのだし、その分の空間を別なことへと使えもする。何と画期的で合理的な生活だろかと、人は文明に感謝し、整然と整備され寸分の狂いもなく制御された安定した生活にその身を馴染ませる。ありがたい便利が当たり前な“常態”となり、ゆとりが生まれ、もっと進んだ文明をと考える時間を持ち、遠大な構想に想像の翼をはためかせる…のは幸いなことだが。のぼせるあまりにうっかりと、足元を見忘れていると、意外な落とし穴にその足元を掬われる。デジタル化のしようがないものが思わぬ牙を剥けば、ひとたまりもなかったりし。

  ――― フレキシブルなもの、
       そう、例えば自然現象が予測の範疇から逸脱したら?

「…そういう小難しいこと、日頃から考えてやがんのか?」
「物流や経済についてってのは一般常識だろうがよ。」
 安心しろ、専門家には負ける知識だと、これでも謙遜したつもりらしい言いようを吐いてから、
「まあ、ややこしいことはさておいて。」
 蛭魔が言いたかったのは此処からで。
「通信の発展とワンセットの物流発達だってのがネックでな。例えば、ガセネタが横行したらどうよ。」
 今年は冷夏で米の生産量が低いと囁かれるたびに、日頃はほとんど米を喰わん人ほど買い置きキープに奔走し、その結果、想定以上の米不足になってしまった…なんて話はよくあることだ。あの銀行危ないらしいよという口コミ1つで、預金を引き降ろす人が殺到し、本当に傾いた銀行もある。
「情報操作ってのは使いようによっては兵器並みに恐ろしい代物だ。大したことはない凶作も、煽りようによっては幾らでも人を不安にさせることが出来ようし、それを巧妙に利用すれば、本当に穀物庫をカラにも出来ようからの。」
「そっから、国内全土をパニックに陥れての大混乱を導いた…ってか?」
 そうまで大それたことを、一個人がやれるもんかねと眉を顰めた葉柱へ、
「まま、そっちはあくまでも俺の想像の範疇の代物なんだがな。」
 一応の但し書きを忘れなかった蛭魔であったが、

  “だが。あのドレッド野郎は、
   それに近い疑ぐりを、ずっと抱えてやがったに違いない。”

 そんな畏れ多い推測を、渦中の只中、仲間と共にあって状況に流されつつある身でありながらも、こっそりとその胸へと抱えており。しかも、仲間内にも気づかれぬようにと、恐らくは細心の注意を払って、確たる証拠というものを固めてもいようとは。
“…だから、なのか?”
 さっきの足止めにしてもそう。こちらへの攻勢に、どこか甘い節が多かったのはそのせいかと。今更に気づいた蛭魔の唇が歪む。あのドレッド頭の青年、人の気を躱す術を操る余裕を持つに相応しく、やはり奥が深かったということか。まだ全貌が見えた訳ではないけれど、それでもこの展開は自分たちへの手ごわい敵の一角を揺るがした、大きな転機に違いなく。
“あとは…。”
 肝心かなめの進とセナだが、

  「………っ!」

 ハッと息を飲んだのが、蛭魔も葉柱もほぼ同時。進はともかく、カメが変化したという獅子の背に乗っけた、セナの姿も見えないままで。どれほど先行しているやらと、ただただ駆けて翔ってたその先から、ただならぬ気配が…強い波動が弾けたらしき感触が、こちらの二人へも届いたから。
「何があったんだ?」
「知るかよっ!」
 感応力が高いから強く感じただけだろか。いやいや、ここは聖なる気脈の障壁効果も強い場所。そんな条件づけを物ともしない強さの衝撃が、どんっと弾けて…そのまま消えてく。
「…ちっくしょうめ~~~っ。」
 咒での跳躍が適わないのが今ほど恨めしいことはなく。あまりに強かった波動の衝撃に、二人の導師が思わず立ち止まってしまったまま。透かし見た先の先では、一体何が起こっているのか。









←BACKTOPNEXT→***


 *しまった、蛭魔さんの推理が、存外長々したもんになっちゃいましたね。
  けれどまあ、これらはあくまでも
  今のところの彼の手にあるカードだけで割り出せた
  一つの“想像図”に過ぎませんので…悪しからず。(う~ん、う~ん)